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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)228号 判決

原告 宮田博文

右法定代理人親権者 宮田博

同 宮田良子

原告 宮田博

原告 宮田辰子

右三名訴訟代理人弁護士 佐々木正義

右訴訟代理人弁護士 久山勉

被告 山口久米次

右訴訟代理人弁護士 岩谷元彰

主文

被告は、原告博文に対し金五八、六六六円、原告博同辰子に対し各金一四、六六七円および各右金額に対する昭和三四年一月二二日から完済に至るまで年五分の割合の金員を支払え。

原告等その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告等の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、原告博文において金二〇、〇〇〇円、その余の原告において各金五、〇〇〇円の担保を供するときは、各その勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、被告の責任の有無

原告等主張の二の(二)の事実(ただし負傷の程度を除く)は、当事者間に争いがない。よつて右事故が原告等主張の如く、被告の使用人訴外館岡稔の過失に基づくものであるかどうかを検討する。上記当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第二号証の一、二、第三号証の各記載と証人前田ヌイ子、同館岡稔、同植木昇の各証言(ただし館岡証人および植木証人の証言中後記措信しない部分を除く。)ならびに検証の結果を綜合すると、前記館岡は、昭和三三年四月二九日午後被告所有のオート三輪車を運転して本件砂置場に至り、同所において右三輪車に砂利を積み、同日午後二時過頃右場所から砂利を置いてある他の場所に移動しようとし、右三輪車の向つて右側から運転台に飛び乗り、運転を開始したとたん、右三輪車の向つて左側後部車輪の附近でうづくまつて砂いじりをしていた原告博文を右車輪で轢き倒し、同人に左右大腿打撲傷、右大腿骨頸部骨折の傷害を負わしめたこと、本件砂置場は、道路に接し、その間に格別の障壁等もなく、平常からかつこうの空地として附近の子供達の遊び場所となつていたこと右館岡もこのことはよく承知していたが、当日右砂置場に至つたときには子供の姿をみかけなかつたのであまり気にとめず、砂利積みに専心しこれを積み終つてからオート三輪車を運転して他の場所に移動する際にも、附近に子供がいるかどうかに深い関心を払わず、殊に右三輪車附近に子供がいないかどうかを確かめず、そのために原告博文の存在に気ずかないまま、前記のように右三輪車に飛び乗つて直ちに運転を開始したため、本件事故を発生せしめるに至つたものであることをそれぞれ認めるに十分である。館岡証人植木証人の各証言中右認定に反する部分は信用し難く、他にこれを覆えすに足る証拠はない。ところで右の如き場合、オート三輪車の運転者たる者は、本件砂置場で子供が砂遊びをしていることが多いことにかんがみ、かかる場所において右三輪車を運転するに当つては、その周囲の危険区域に子供がいないかどうかを確め、これを発見した場合には安全な場所に待避せしめたうえ運転を開始する等の慎重な方法を講ずべき業務上の注意義務があることはいうまでもないから、前記館岡は、本件オート三輪の運転にあたつて、右の注意義務を怠つたものというべく、本件事故は同人の過失に基づいて生じたものといわなければならない。

そして、右館岡が被告の使用人であり、本件事故が右館岡において被告の事業のためオート三輪車を運転している際に惹き起されたものであることは当事者間に争いがないから、被告もまた右館岡の過失によつて生ぜしめた損害の賠償義務を免れないものであるところ、被告は、右館岡の選任監督につき過失がないから損害賠償の責めを負わないと主張するが、被告の全立証によるも被告が右館岡の選任および監督につき相当な注意を怠らなかつた事実を認めることができないから、被告の右主張は排斥を免がれない。

二、損害賠償額

よつて進んで損害額につき検討する。

(一)原告博文の損害

(1)原告博文は、本件事故により前記の如き傷害を受け、その負傷は完全に治癒せず、完全な身体をそなえた者としての活動は生涯不可能となり、その結果満二〇才に達したのちにおいて少なくとも一ヵ月金三、〇〇〇円の収入減をきたすことが確実であると主張するが、証人内田清之助の証言および原告宮田博文本人尋問の結果によつても本件傷害の後遺症が右のように長期間持続するとはとうてい認め難く、他に右の原告主張事実を認めるに足る証拠はないから、この点に関する原告博文の主張は、理由がない。

(2)原告博文が原告博、同辰子の長男で、本件事故当時五年三月の小児であつたこと被告が自家用車、オート三輪車等を所有し、石材料の販売を営む建築材料商であることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証および原告本人宮田博、同宮田辰子各尋問の結果によれば、原告博文は本件負傷のため三ヶ月近く臥床ないしは不自由な起居を余儀なくせしめられたのみならず、その後も時々夜半に飛び起きたり、嘔吐を催したりするようなことや、寒い時に負傷箇所に痛みを感ずることがあり(もつとも、これらの症状は長期間継続するものではなく、漸次消失するものと認められるが)そのために小学校入学後も相当長期間欠席を余儀なくされたこともあることを認めることができるから、被告は同原告に対し、そのこうむつた肉体上および精神上の苦痛に対し慰藉料の支払をなすべき義務があることは明らかである。そして、上記認定の諸事実に、原告本人宮田博同宮田辰子の各尋問の結果により認めうる、右宮田博が看護婦四人を使用する開業医として中流程度の生活を営んでいる事実、被告本人尋問の結果により認めうる被告が四名の従業員を使用し、オート三輪トラツク四台を用いて木材等の販売を営んでいる事実原告宮田博、同宮田辰子各本人尋問の結果により認めうる被告が数回原告博文を見舞い、その都度二、三百円の見舞品を贈つた事実(被告は十数回にわたり合計金一六、一〇〇円の見舞品を贈つたと主張するが、この点に関する被告本人尋問の結果は前掲証拠に対比して措信し難く他にこれを認めるに足る証拠はない。)その他諸般の事実を綜合すると原告博文に対する慰藉料の額は金八〇、〇〇〇円を相当と認める。なお、被告の過失相殺の抗弁については、原告博文の損害賠償の額を算出するにつき同原告の監督義務者の過失をしんしやくすべきでないと解されるから、原告博文に対する関係においては被告の右抗弁は採用しない。

(二)原告博、同辰子の損害

(1)原告博は、原告博文の本件事故による負傷の治療のため合計金一〇四、八二〇円を支出したと主張し、被告はこれを争うので、この点につき検討するに、同原告がその証拠として提出した原本の存在および成立に争いのない甲第四号証から第一三号証までは、原告博が医師として原告博文の治療をするに要した費用として被告に請求した請求書であるところ、その内訳は、昭和三三年五月三日から同年七月十日までの入院料および看護料六二日分合計八二、八〇〇円や、昭和三三年六月一八日から同年八月一〇日までの超短波療法代、二、七〇〇円、同期間におけるマツサージ代五、四〇〇円、内田病院へのタクシー二往復分代金四二〇円同年六月一七日の内田病院への支払金一、五〇〇円となつている。しかるに内田証人の証言によれば、原告博文は、内田病院に五日間入院していたがギブスをはめたのでもはや入院の必要なしと認められて退院し、その後医師たる原告博方において療養していたのであるが、一般に右の如き骨折箇所にギブスをはめたのちは特に入院の必要はなく、内田医師が原告博文を退院せしめたのも別段同人の父である原告博が医師であり入院施設をもつ医院を経営しているからというわけではないことが認められるから、右内田病院からの退院後における原告博方における原告博文の療養をもつて治療のため必要な入院であるとし、その入院料に相当する金額の損害を原告博がこうむつたとすることはできないし、また看護料についても原告宮田辰子本人尋問の結果によれば、原告博において第三者に看護を依頼し、これに看護料を支払つたわけではなく、また同原告みずからが看護にあたり、そのために自己の得べかりし利益を喪失したというわけでもなく、看護にあたつたのは原告辰子であることが認められるから(しかもその看護の内容および必要性の程度は証拠上明らかでない。)これにより原告博が右看護料に相当する財産上の損害を受けたとすることはできない。次に、超短波療法代金二、七〇〇円およびマツサージ代金五、四〇〇円は、いずれも、原告博が他に支払つたものではなく、自分が博文に施した治療について通常医師として請求しうる代金額を計上したものと認められるところ、かかる現実に支出のないものを直ちにその実損害を認めることができるかどうかを考えるに一般に医師の施した治療に対する代金はその治療に要した機械、器具、薬剤等の消耗費のほかに、治療に関して支払われた、その医師の労力を経済的に評価したものを加えたものであると考えるべきであるから、正当の対価を得ないで一定の治療を余儀なくされた医師は、その治療代に相当する財産上の損害をこうむつたものと解するのが相当であり、この場合と治療を他の医師にまかせてこれに治療代を支払つた場合とを区別すべき合理的根拠はない。そして前掲内田証人の証言および原告宮田博本人尋問の結果によれば、同原告が博文に対して上記の如き治療を施したこと、およびこれらの治療が博文の本件負傷について必要な治療であつたことを認めることができ他方原告博の計上した右の治療代が不相当に高額であるとする証拠もないから、同原告は右治療代に相当する損害をこうむつたというべきである。次に内田医院への支払金一、五〇〇円および同病院へのタクシー代金四二〇円は、前掲内田証人の証言および原告宮田博本人尋問の結果により、原告博文が昭和三三年六月一七日内田医師の診療を受けるために原告博が実際に支出した費用と認められるから(内田病院への支払一、五〇〇円は、被告が同病院に支払つたこと当事者間に争いのない七、五〇〇円とは別個のものであることは、弁論の全趣旨からうかがわれる。)結局原告博の財産上の損害に関する主張中、入院料および看護料に関する部分は理由がないが、超短波療法、マツサージ代金、内田病院への支払金、タクシー代以上合計一〇、〇二〇円については理由があるというべきである。なお同原告は以上のほかになお一二、〇〇〇円の治療に要する費用を支出したと主張するが、この点に関する立証は何もないから、これを認めることはできない。

(2)次に、原告博同辰子の慰藉料の請求について考えるに、原告本人宮田博、宮田辰子の各尋問の結果によると、同原告等は、本件事故のため大きなシヨツクを受け、原告博文の治療看護のため夜もよく眠らないこともあつたこと、原告博文の前記の如き後遺症のため絶えず不安と心痛に脳まされているのみならず、小学校入学早々かなりの期間の欠席を余儀なくせしめられたこと等のため、親として大きな苦痛を味わい、その将来に対しても不安と危惧を感じていること、特に原告博文が原告博等の長男であり、本件事故当時五年三月の小児であつたため、同原告等の心痛にはいつそうひどいものがあることを認めることができる。

ところで他人の加害行為によつて子供が負傷した場合に、その子供の両親がこれによつてこうむつた精神上の苦痛に対し慰藉料の請求をすることができるかどうかは一個の問題であるが、当裁判所は、右の精神上の苦痛が社会観念上金銭をもつて慰藉されるに値する程度のものと認められる限り、その苦痛をうけた者に慰藉料請求権を認めるのが相当であると考える。けだし精神上の苦痛なるものは、財産上の損害と異なり、外形的に適確にとらえることが困難なものであり、その人的範囲において無限定的にひろがる可能性をもつとともに、その苦痛の性質、程度にもさまざまの差異があるから、およそすこしでも精神上の苦痛があると認められる限り、直ちにこれが慰藉料請求権を認めるということができないことはもちろんであるが、しかしその精神的苦痛が一定の程度に達し、社会観念上金銭的賠償をもつて慰藉せしめるのが公平の原則に合致し、他面濫訴の弊を生ぜしめることもないと考えられる場合には、これに対して慰藉料請求権を認めるにちゆうちよすべきではない。民法第七一一条は、被害者の死亡の場合につき一定範囲の近親者に限つて慰藉料請求権を認めているが、右は単にかかる要件をみたす場合には当然に慰藉料請求権が認められることを規定したにとどまり、それ以外の場合における被害者の近親者の慰藉料請求権の発生を一般的に否定したものとは考えられないから、右の規定の存在はすこしも上記のような解釈のさまたげとなるものではない。そして上記認定の如き事実に照らせば、本件において原告博、同辰子が受けた精神上の苦痛は、一般に社会観念上金銭をもつて慰藉されるに値するものと考えられるから、同原告等の慰藉料請求の主張は理由があるというべきである。

(3)被告は、原告博同辰子に原告博文に対する監督者としての義務懈怠の責任があるから損害賠償の額を定めるにつきしんしやくさるべきであると主張するので判断するに、証人館岡稔同植木昇の各証言を被告本人尋問の結果および検証の結果によれば、本件砂置場は近隣の子供たちのかつこうの遊び場所として利用されているが、がんらい被告の私有地であり、かつ被告の営業用三輪トラツクが砂利、砂等の積荷積卸のためひんぱんに出入するところであつて、子供達が右場所で遊ぶことは危険であり、被告の従業員も右場所に子供達を見かけ次第これを追い払つていた事実が認められる。このような他人の私有地で、しかも相当な危険の伴う場所において分別のない小児が遊ぶことに対しては、その親たる者は、これに厳重に禁止するか、または少なくともみずからこれを看視し、もしくは適当な附添人に看視される等の措置を講ずべき監督上の義務があると認めるのが相当であるところ、原告博文、同辰子においてかかる措置をとつたことを認める証拠はないから、右原告等もまた過失の責を免かれず、右はその損害賠償の額を定めるにつき考慮さるべきものといわなければならない。

(4)以上(1)ないし(3)に述べた諸点ならびに上記(一)の(2)において認定した事実その他諸般の事実を綜合し、被告の原告博、同辰子に対する損害賠償額は、原告博については財産上の損害賠償額八、〇〇〇円慰藉料額二〇、〇〇〇円、原告辰子については慰藉料額二〇、〇〇〇円を相当と認める。

三、以上の次第で被告は原告博文に対し金八〇、〇〇〇円、原告博に対し金二八、〇〇〇円、原告辰子に対し金二〇、〇〇〇円の各損害賠償債務を負担するものであるところ、被告が本件事故に対する損害賠償金として金四〇、〇〇〇円を支払つたことは当事者間に争いがない(被告はなお、合計金一六、一〇〇円に相当する菓子、玩具等の見舞品を贈つたと主張するが、右は本件賠償債務の弁済ということはできず、単に慰藉料額の算定につき考慮すべき一事由にたりうるにすぎない。)そして右支払金の充当関係については、被告は原告博のこうむつた財産上の損害についての賠償請求権に充当されたとする原告等の主張に対してその充当方法を争つていないので、まず原告博の財産上の損害に対する前記八、〇〇〇円の賠償債務の金額に充当されたものとし残金の三二、〇〇〇円については、当事者において特段の主張がなく、かつ特定の原告に対する慰藉料債務に優先的に充当さるべきものとする特段の事情の認められない本件においては、原告等の有する各慰藉料請求権に対し、各その額に按分して充当するのが相当であると考える。そこでこれにより計算すると、原告博文の債権への充当額は二一、三三四円同博の債権への充当額は合計一三、三三三円、同辰子の債権への充当額は五、三三三円となるから、結局原告等の残債権の額は、原告博文について金五八、六六六円原告博同辰子について各金一四、六六七円となるわけである。

よつて、原告等の請求は、右各金額およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三四年一月二二日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める限度においては正当であるからこれを認容し、その余の部分は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条第一項、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 中村治朗)

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